体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~

うん、そうね、しんどかったね(5)

同時に、長女の精神的ストレスもピークに達していた様で、朝起きても壁の方を向いてうずくまり、シクシク泣き、“おはよう”すらいわない状態になっていた。

慌てていとこがいる主人の兄家族のもとから、子どもはいないが思い切り甘えられる主人の実家へ移り、保育園に通いながらおじいちゃん、おばあちゃんと暮らすことで長女は落ち着いた。

結局、娘の白血球の奇形は、G-CSFを大量に入れた為、白血球が未熟な状態のまま血液中に送り出されてしまったのが原因と判断された。

これでG-CSFも使えなくなり、自分の力で白血球を立ち上げるまで、治療ができなくなった。

しかし、予想通り娘の場合は上がってこなく、2週間ごとにいかなくてはいけない治療が2週間経っても700どまりのこともあり、待ちきれずに700のまま治療した時もあった。

常に白血球の数が少ない状態だったので、プレイルームに行って遊べたのは退院間際だった。

 

強化療法も終わりに近づき、メソトレキセートの大量療法がやってきた。

48時間連続で抗がん剤が入る。

恐れていた事が起こった。

肝機能が悪くなり、GOT=684、GPT=404、LDH=562にまではね上がった。

生きた心地がしなかった。

先生にはGOTが1,000を超えてくると危険といわれ、肝臓を守る、そして再生さす為に、強ミノ、タチオン、インシュリンなどの処置がなされた。

血糖値が上がったり下がったりで、眠れない日が続く。

しかし、そのお陰で何とかそれ以上は上がらず、乗り切った。

この時は少し危険な事が起こると予想していた為、事前にMRIを撮って構えていただけに、大量療法の何日も前から緊張し続け、私は心も体もクタクタだった。