体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~

あの時を振り返って

忘れもしない、娘が2才7ヶ月だったあの日。

夜中に「いたい、いたい」といって泣き出した。

どこが痛むのかと聞くと、足の甲のあたりを指差す。

見たところ腫れもなく、原因も分からない。

とりあえず様子を見るが、朝になると、足が痛くて立つことができなくなっていた。

微熱もある。

 

そういえば、3、4日前から左手の中指の骨が妙に膨らんで、腫れているようだった。

痛がらないのでそのままにしていたが、もしかしたら関係があるのかもしれない。

不安になり、近くの総合病院の整形外科に連れて行った。

採血をし、レントゲンをとるが、別におかしいところはないといわれる。

不安を感じながらも、3日後には歩けるようになり、痛みも治まったようだったのでひと安心していた。

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ひとつの山をのりこえて

2人目の子は、平成5年生まれのお姉ちゃんの妹として、平成8年に生まれました。

 

平成11年7月の初め(2才7ヶ月の頃)、元気にはしているのだけれど、熱が2、3日続きました。

軽い夏風邪のつもりで、近くの開業医へ。

「のどは赤くないし。それより、子どもの顔色じゃない。血液検査してみよう。」

・・・すぐ出た結果は、

「炎症反応もすごく出ているけれど、貧血がひどい(鉄分が通常の半分)のと、白血球が通常の3倍(2万3千)もある。肝臓も腫れているし、お母さん、これは腫瘍か白血病かもしれない。」

「はあ…。」

「そんなのんきにしている状況じゃないよ。」

「・・・・・」

その頃、腫瘍や白血病など、名前こそ聞いたことはあるけど、それがどんなものか全く知らなかった私には、どういう態度をとればいいのか想像もつきませんでした。

 

とりあえず、血液像というものを見てもらわないと、はっきりしたことはいえないからと、家で待つことに。

自転車をこぎながら、

「大変な病気?そんなバカな。うそに決まっている。こんな元気な子が・・・。」

祈るような気持ちで、ブツブツと独り言をいっていたのを覚えています。

 

家に着くなり、家庭医学の本を開いて、愕然としました。

白血病の症状そのものだったのです。

そういえば、鼻血が止まらなくて、慌てたことがあった。

(でも、私自身子どもの頃、しょっちゅう鼻血を出していて、しかも止まりにくいことも何度かあって、病院へ行った)

顔色は、ずっとすぐれなかった。

(私自身、子どもの頃から顔色の悪いタイプだったので、この子もそうだと思い込んでいた)

足やお腹をよく痛がった。

(上の子も成長痛で、しょっちゅう痛がっていた)

食べ過ぎが少しおさまってきたと喜んでいたのに、食欲が落ちていたの?

一ヶ月程前、とびひがひどくなって、きつい抗生剤を飲んだけれど、免疫力が落ちていたの?

以前、研究補助の仕事をしていて、有機溶剤など吸っていた私のせいかも・・・。

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笑顔をありがとう

“訪問教育”・・・この言葉を聞いて、何を連想されますか?

殆どの方が、聞いたことの無い言葉だと思います。

“訪問教育”とは、長期入院中の義務教育を受けている子ども達が、 養護学校の先生に病室に来ていただいて、勉強を教えてもらう制度の事です。

多くの病院には“院内学級”という施設が有り、入院中の子ども達は、同じ病院内にある院内学級”へ出かけて授業を受けることができます。

ところが、残念ながら息子が入院した病院には院内学級の場が無いため、養護学校の先生方に、病室へ来ていただく“訪問教育”という形をとっているのです。

 

さて、私はここで、もうすぐ10歳になる私の息子と訪問教育の先生方との関わりを通して、 私達親子がどれほど「元気」をいただくことができたか、 そして暗い入院生活に明るい光を与えていただいたかを述べたいと思います。

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うん、そうね、しんどかったね

平成13年1月。

横浜からお正月を兼ねて、年末年始を主人の実家で楽しく過ごしていた時、病気がわかった。

「産まれてもう、半年たつんやな。」

私が言葉をかけても、義母からは返事がありません。

義母を見ると、じっと次女を見つめています。

「何?どうしたん?」

「何か、左目が出てきてると思わへん?」

「え?目でも擦って腫れてるんやわ。横浜に帰ったら、眼科にでも連れて行くわ。」

その日の夜、何だか妙な胸騒ぎがして、私は一晩中眠れなかった。

そういえば目をよく擦っていたし、一ヶ月前に初めてひいた風邪が今だに治っていない。

町医者に何度も通っていて、先生にいわれたひと言が脳裏を巡った。

(大丈夫だとは思いますけど、まれに大きな病気が隠れていることがあるんです。)

 

次の日、大丈夫だと確信したくて、ホッとしたくて、私は近くの病院に連れて行くことを皆に伝えた。

まず眼科・・・「目は異常ありません。すぐ小児科へ行って下さい。」

私はすぐ「脳ですか?脳ですか?」と聞いたが、勿論返事はない。

次に小児科・・・すぐにCT、MRI、シンチの検査が始まり、偶然病院に来ていた府立医大の先生に話が聞けた。

「初めの診断をつけるのがとても難しいが、神経芽細胞腫だと思われます。」

その後、日単位で眼球がとび出し、一週間で脳・骨髄・肺・骨にまで浸潤し、 胸水が溜まってきて咳を始めた為、すぐに府立医大へ来た。

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白血病との出会い

私の息子は3歳で白血病を発症し、その日から私は患者の母親であり専属看護師という二足のわらじをはくことになった。

 

息子は平成13年夏、鼻血をよく出していたので開業医で採血をした。

先生に「異常はないよ。白血病なんて、ならない、ならない」と笑い飛ばされた。

私達、家族は平穏な日々を過ごしていた。

七五三も無事に済み、冬になると息子は元気がなくなり、大好きな保育園を休みたがるようになった。

風邪がすっきりせず、夏に採血した開業医へ受診した。

先生は「黄疸が出てるね、あざも多いし採血をしよう」。

私は息子を医療者の目で観察した。

(ん~言われてみれば、黄色やな。男の子はやんちゃだから、あざもできる。今度の休みに大きい病院で精査しよう。ああ、胆石で手術になったら大変や)と呑気に構えていた。

 

翌日、出勤すると職場へ自宅から電話があった。

私の母が泣きながら「伊織が白血病だって、すぐに帰ってきて」と電話してきた。

すぐに病院へ行き、私は告知を受けた。

「息子さんは白血病です。治療は大学病院でするので、すぐに行ってください」。

私は先生に「予後は、どれくらい」と尋ねた。

「お母さん、今は治る病気で、学校にも行くよ」の返辞に安堵した。

しかし、私達親子はとてつもない白血病に出会い、長い闘病生活の始まりの日であった。

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