体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~
笑顔をありがとう(3)
そんな頃、先生から
「長期間、学校を休むので、訪問教育を受けてみたらどうかな。」
と勧められました。
でもその頃の私は
「息子が生きるか死ぬかの時に、勉強どころではない。もし勉強が遅れても、2年生くらいの内容なら私が教えればいい。」
と思って、聞く耳を持っていませんでした。
もうひとつ、私を躊躇させたのは、訪問教育を受けるためには、現在通っている学校から、一旦、養護学校へ転校の手続きをとらなければならないという条件があったからです。
(これは手続き上だけで、またすぐに元の学校に戻れるのですが。)
その時は「転校」させる事に抵抗がありました。
「入院」というだけでも、息子にとってはつらく重い現実なのに、転校するなんていえるはずがない、と思いました。
入院と共につらい化学療法が始まり、私と息子は個室の中で、絵を描いたり、本を読んだり、工作をしたりの毎日が続いていました。
息子はこの頃、何故、自分だけが入院して学校へ行けないのか、ということに強い不満を抱いていて、
「家へ帰りたい、学校へ行きたい。」
が口癖でした。
息子は幸いにして化学療法の副作用があまり出なかったため、個室での退屈な毎日をいかに楽しいものにしてあげられるかが、私の悩みの種でした。
実は、息子を励まさなければならない立場の私と主人が、最も精神的に参っていたのです。
とにかく、命に関わる病気であることを、息子に悟られないようにするのに必死であったと思います。