体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~

うん、そうね、しんどかったね(7)

さて、娘は大量療法後、お尻のただれが今までで一番ひどくなり、お座りを嫌がる様になった。

尿や便が出る度に「ヒィーヒィー」と泣き、お尻の消毒の度に泣いた。

そして、おしめ替えが終わった途端、また便が出た。

テレビ台の机上には、消毒薬、ピンセット、綿花、塗り薬で他の物が置けないほど一杯になった。

お尻のただれと共に、今度はお腹にガスが溜まり、パンパンに張ってきた。

何度もレントゲンを撮りに行った為、レントゲンが唯一のお散歩・・・。

本人は周囲の院内の壁やエレベーター、電気に目を丸くして、キョロキョロしていた。

「こんなに天気がいいのに、他の子ども達は公園で砂場遊びをしているんだろうな。」と、比べても仕方のないレベルで考え、落ち込んでいた。

その度に先生や看護婦さん、お母さん達にグチをもらし、ホッとして個室へ戻った。

 

娘の腸は、腸閉塞の一歩手前まで悪化し、絶食になった。

私は娘が昼寝している間に、隠れてレストルームで食事をとった。

腸が落ち着き、維持療法に入った。

彼女の白血球は600まで落ちたが、何とか外泊にこぎつけた。

皆には「やっぱり家が一番でしょ?」といわれたけど、複雑だった。

入院当初は、元気になって横浜に帰ることを目標に頑張ってきた。

しかし、色々副作用が出て長丁場になり、京都へ引っ越してきた。

外泊で“我が家に戻ってこれた”という気持ちは無く、”新しい土地で頑張らないと”という思いだった。