体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~

あの時を振り返って(4)

覚悟を決めたものの、現実は厳しかった。

前の病院から続く検査や採血、果てはマルクで、娘はすっかり白衣拒否症になってしまっていた。

はじめの数日は毎朝「おうちにかえるー」と泣かれ、娘を抱きあやしながら、

「なんでこんな病気に・・・」とあまりの不びんさに私も泣いた。

個室に移るまでは普通の総室にいて、まわりの人に病名をいう気にもなれず、よけいつらかった。

 

その朝もまた泣き叫ぶ娘を抱きながら、必死で涙をこらえていた。

すると向かいのベッドのお母さんが、黙って温かいコーヒーを持ってきてくれた。

嬉しかった。

さりげない優しさが身にしみた。

家にも帰れない、痛い採血や点滴は毎日ある、ギブスをしているから自由に動けない・・・。

この時の娘は、さぞかしストレスの塊だったと思う。

熱が下がっている時は、娘をのせたベビーカーと点滴棒を押しながらD3病棟の廊下を行ったり来たりした。

1日がとても長かった。

 

娘は入院前、育児サークルに入っていた。

急な入院を誰にもいっていない。

とりあえず連絡しないと・・・。

でも、とても病名をいう気にはなれなかった。

少し前までは、他の子ども達と一緒に元気良く遊んでいた。

どうしてこの子だけがこんな病気に・・・。

他の子ども達は、今でも元気に遊んでいるだろう。

考えると、やり切れなかった。

「どうしてこの子だけが・・・」という考えがいつまでも頭から離れず、それが余計に自分を追い詰めていた。

 

入院して6日目にIVHの手術をし、同時に個室に移った。

個室に移れた時は、心底ほっとした。

張りつめていたものを、少しだけ緩められる気がした。

でも、手術以降、娘の白衣拒否症はますますひどくなり、先生や看護婦さんに対して「イヤ、イヤ」の嵐。

私は、不びんだと思う気持ちと、イライラする気持ちとの間で揺れていた。

そして訪れる薬の試練。

薬の時間は、いつもまさしくバトルのようだった。

「イヤー!」と絶叫する娘。

必死で飲まそうとする私。

アイスクリームやチョコレートに混ぜたり、あらゆる手を考えた。

やっと飲んだと思っても、その前にとった食事もろとも、全部吐かれたり・・・。

薬を飲ますことは、私にとって根気と忍耐を要する作業だった。

その度に、ドっと疲れた。