体験記 ~あの笑顔をとり戻すまで~

あの時を振り返って(3)

翌日、思い切って京都の病院に行った。

整形外科を受診したわけだが、そこで診て頂いた先生は、すぐさま小児科へと回して下さった。

小児科での診察が終わった時に、今日は入院するつもりで来た旨を伝えた。

その時は、もうすぐにでも入院しなければならないという、何かあせりに似たものがあった。

しかし、子どもは急な出来事を理解できる訳がない。

「おうちにかえるー」と何度も駄々をこねられた。

その晩、病室でなんとか寝付いた子どもの顔を見ながら、

「この子の病気は一体何なんだろう。これからどうなるんだろう」と不安にかられたのを覚えている。

 

次の日、骨髄の検査をするということで、娘は処置室に連れて行かれた。

「ママー、ママー」という娘の悲痛な叫び声が廊下に響き渡る。

これが相当な痛みを伴う“マルク”というものであることを、その時の私はまだ知らなかった。

ぐったりした姿で出てきた娘を見て、身を切られるようにつらかった。

数時間後、父親にも病院に来てもらうようにといわれ、これは良くない結果が出たのに違いないと覚悟を決めた。

不安が膨らむが、心配して駆けつけた自分の両親の手前、気丈に振る舞っていた。

 

夫が会社から駆けつけた。

先生の待つ部屋へ行く。

血液専門という先生から話が切り出された。

娘の今の状態が説明され、だんだん核心に近づいていくのを感じる。

『急性リンパ性白血病』

先生の口から出た病名に、「やっぱり」と「まさか」が頭の中をグルグル駆け回っていた。

治療のこと、副作用のこと等分かり易く説明して頂いたが、気が張りっぱなしだった。

でも、「この病気はとても研究が進んでいるので、ちゃんと治療すれば必ず元気になります」という先生の言葉を、今でもはっきりと覚えている。

そして「病院と先生を信じてお任せするしかない」と、その時心に決めたのだった。

 

次の日、母に代わりを頼んで、着替えやおもちゃを取りに家に戻った。

ついこの間まで、元気に遊んでいた姿が思い出され、一人で家にいるのがつらかった。

おもちゃをそろえながら、涙がこぼれた。

大きな荷物を抱え、近所の人から身を隠すようにタクシーで駅に向かった。

一刻も早く娘の顔が見たかった。